ナント王令? 勅令?

王令、それとも勅令?

ブルボン家のナバラ王アンリ、ヴァロア家アンリ3世が暗殺された後、フランス国王に即位しブルボン朝初代アンリ4世となった人物です。

 

パリはポンヌフ〔シテール島にかかる橋〕にあるアンリ4世騎馬像。

 

ルーブル美術館のアンリ4世肖像画。お茶目な感じに見えますが、恐らくはギリシア神話の英雄ヘラクレス姿の肖像画です。

 

この王が1598年、ロワール川ほとりのナントでだした命令が所謂ナント王令です。

 

ユグノーであったアンリ4世がカトリックに改宗する事でフランス王位を継ぎ、この王令でユグノーの権利をほぼカトリックと同等まで認めました。

この結果、長らく続いたユグノー戦争が終結したこと、王権強化を進めたルイ13世の宰相リシュリューがユグノーの権利を制限したこと、続くルイ14世が1685年に王令を廃止したことなどを世界史では学習します。

 

この命令に関して、生徒さんから時々質問を貰うのが「ナント勅令と先生が言ってましたが、教科書にはナント王令と書いてあります、どっちが正しいんですか」です。

わりあいに奥深い質問ではあります。

これは翻訳の問題です

フランス語で王令勅令に当たる部分はどうやら「Édit」で布告と翻訳できる語のようです。

王がだしたから王令、実に解りやすい。

 

では勅令とはというと、実は皇帝の命令を意味する言葉なんです。

司馬遷が著した『史記』の秦始皇本紀二十六年の記述には中国統一を成し遂げた秦王政が、自らを周王や王を称した戦国六国の君主を超えた存在だとして、部下に王に代わる新しい称号をつくるよう命じた、とあります。

李斯をはじめとする部下達の提案に一部ダメ出しをした結果、王を超越する存在として皇帝の称号、皇帝の布告を、同じく制度に関する命令を、皇帝の一人称を〔ちん〕というようになりました。

 

ん? あれは?となった貴方。えらい!

そうです、は始皇帝が決めたものではありません^^;

二十四史〔『史記』を最初とする24の中国の正統とされる歴史書〕を引いても、は南北朝あたりで登場し唐代に皇帝の命令を指す語として正式に使われるようになったと思われます。

後漢末の許慎が著した『説文解字』に誡はであると説明されている〔誡敕也。从言戒聲〕ので、少なくとも後漢末には誡めであると認識されていたようです。

これが日本に渡り『古事記』『日本書紀』などで使われ始め、明治時代には詔勅勅令と使われるようになりました。

日本では命令の他にも勅願や勅使とか勅語、つまり「天皇を行為者とする」を意味する語として使われていますね。

 

なのでフランスの命令として勅令は相応しくなく、王令と現在されているわけです。

過去には

私が高校生の頃、今から約30年近く前にはナント勅令と習いましたので古い先生はそういうはずです。

決して間違いではありませんが現在の表記はより正しくナント王令になっている、そういうわけです。

 

ところでそもそもの西洋の皇帝や王の称号なのですが、ローマ皇帝〔Imperator・Caesar〕やこれに起源をもつ称号〔英語のEmperor・フランス語のEmpereur・ドイツ語のKaiser〕を東洋では皇帝と翻訳するようになりました。

 

この話は別に詳しくやるとして、神聖ローマ皇帝カール4世が1356年にだした命令覚えてますか、金印勅書でしたよね。

ほら、皇帝はでしょ。

 

中国の歴史書には旧字体のででてきます。ここではに統一しました。

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