アンヴァリッド

廃兵院、アンヴァリッドはルイ14世が造らせた傷病兵を収容するための施設です。

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アンヴァリッド前景

 

ただ現在はその元の目的よりも、ルイ14世がアルドウァン=マンサールに設計させた王室礼拝堂にナポレオンの巨大な棺が安置されている事で有名です。

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王室礼拝堂

 

1821年にセント=ヘレナ島で亡くなったナポレオンの遺体が、フランスに戻されたのは1840年。当時は七月王政、オルレアン朝ルイ=フィリップが国王でした。

ブルボン朝最後の王シャルル10世が始めたアルジェリア侵攻は、七月王政下でも続けられました。アルジェリア侵攻はアブド=アルカーディルの抵抗を受け難航、更に欧米各国のフランスに対する強い批難を喚起しました。

この難局を乗り切る手段として国民に「偉大なるフランス」を想起させるべく、ルイ=フィリップはナポレオンの遺体をフランスに帰還させました。死せるナポレオンが「偉大なるフランス」の象徴として担ぎ出されたわけです。

アンヴァリッドの王室礼拝所の地下を掘り抜いて、棺が安置されています。この掘り抜き工事が完成したのは1860年代の事だそうです。

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ナポレオンの棺

 

月桂冠と8つの戦勝名が巨大な石棺の周囲を取り巻き、この場では否が応でも棺主の栄光に思いを馳せざるを得ません。

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月桂冠と戦勝

 

地下の壁にはナポレオン1世の業績を示すレリーフが。ローマ帝国の「神君アウグストゥスの業績録」を意識しているのか、衣装がローマ風です。

 

地下には、ローマ王つまり、ナポレオンの息子ライヒシュタット公ナポレオン2世の墓所もあります。ナポレオンの崇拝者だったアドルフ=ヒトラーが第二次世界大戦中にドイツから移させたもの、だそうです。

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ナポレオン2世墓

 

一階には、ルイ14世の時代の元帥テュレンヌ、要塞建築で有名な元帥ウォーバンを始めナポレオンの兄弟などの墓もあります。ウォーバンの墓の写真は撮り忘れてしまいました。

 

歴史に興味を持ち始めた子供の頃、ナポレオンは憧れでした。「英雄」に対する素直な憧れを子供っぽいな、と微笑ましく思う反面、この場に来ることが出来てひどく嬉しい今の自分もいました。

 

礼拝所の北側は現在、「廃兵院」としての機能は縮小され軍事博物館になっています。実は三大ポカをやっていまして「ウォーバンの墓を撮り忘れ・兵士の礼拝所に行き忘れ・玉座のナポレオンを見忘れ」、ちょっと舞い上がっていたのと、余りにも広すぎたのが原因です・・・

軍事博物館は、収蔵品も多くじっくり見ていたら丸一日はかかりそうです。なので中世と近世・ナポレオン時代から第二帝政だけをざっと見ました。

まずは中世から近世、この大きな鎧は身長が2メートル近く有ったと言うフランソワ1世のものだと思います。本物かどうか解らないのですが清の乾隆帝の儀礼用鎧もありましたし、日本の鎧兜もありました。

 

ブルボン朝からナポレオン時代。説明がほとんどフランス語なのでだいぶ曖昧です。説明書きからは、ナポレオンのものは本人の所有物だと思います。自信は無いですけどね・・・

 

アンヴァリッドの正面や中庭に並べられている大砲は、過去の戦争でフランス軍が鹵獲したもの。四国艦隊下関砲撃の際に鹵獲された長州藩の青銅砲もどこかにあるそうです。

 

日本語の音声ガイドがあるそうなので、時間があればゆっくりまわるのも面白そうでした。

Updated: 2016年3月25日 — 10:51 AM