テオドシウスの城壁

名前はテオドシウスですが

Wikipediaより。テオドシウスの城壁や金角湾に軍船を入れる様子が見える

 

東ローマ帝国の首都、コンスタンティノープルを守る壁こそテオドシウスの城壁。

小説やゲームなどでも取り上げられてますから、名前くらい目にしたことがあるんじゃないでしょうか。

 

ただ高校世界史で習う「キリスト教を国教化」したテオドシウス1世ではなくて、孫のテオドシウス2世時代に建設された城壁です。

城壁断面図

 

都市側から見て12メートルの内壁・その外側に8.5メートルの外壁・更に2メートルの胸壁と濠。

建設当時には火砲が存在しないので、騎兵・歩兵が超えられないよう高い壁が築かれました。

確かに石を飛ばすカタパルトなどはありましたが大がかりで、しかも数十キロの石を飛ばせるだけです。

カタパルト〔Wikipediaより〕

 

ゲルマン人や遊牧民の攻撃に対しては、その無類の防御力を遺憾なく発揮できたでしょう。

東ローマ帝国を1000年帝国たらしめた、物理的要因の一つだと思います。

エディルネ門

テオドシウスの城壁には、通行の為に10の大門が設けられていたそうです。

今回はコーラ〔カーリエ〕博物館にも足をのばすつもりでしたので、エディルネ門に行きました。

城壁

 

スルタンアフメッドからトラムとバスを乗り継いで行ったのですがGoogle頼みで駅名すら覚えてません、やれやれです・・・

エディルネ門

 

オスマン帝国の首都であったエディルネ、ローマ帝国時代のハドリアノポリス〔アドリアノープル〕に続く門であったことからその名があります。

門自体いつ頃の修復なのか定かではないのですが、周辺は修復が及んでいません。

 

ふと写真を撮っていて気付きました。

「あれ? 上に人がいる!」

こうなったらどこから登れるか探しますよね、それが人ってもんですよね。

ただ私高所恐怖症気味なんですけどね・・・

いざ物見塔へ!

エディルネ門市内側

 

さてどこに階段があるのか、と市内側へ。

乗り合いタクシーが沢山とまってました。

ここの左手に上り階段がありましたが・・・

階段

 

整備されているとはちょっと言いにくい階段です。

上から降りて来たのはヒジャブを付けた女の子2人、女の子でもいけるならと・・・

塔からの気色

 

確かに見晴らしは良かったです。

が、足下はこれ・・・

足下

 

多少恐かったですよ・・・

塔の方にも行けたのですが、この状態。

物見塔内部

 

この先は断念しました。

おじさん、もう少し若ければね・・・

修復

テオドシウスの城壁

 

帰り空港にはタクシーで行ったのですが、城壁の南側ではだいぶ修復が進んでいるようです。

黄金門やベオグラード門があった場所です。

ここなら三重の壁が極めてよく確認できます。

 

ただ、修復も全てではなく途中はかなり荒れていました。

城壁の終焉

Wikipediaより。ジョヴァンニ・ベリーニの兄ジェンティーレ作

 

1453年にオスマン帝国のスルタン、メフメト2世がコンスタンティノープルを陥落させ、東ローマ帝国は滅亡しました。

オスマン帝国は、対城壁用としてハンガリー人ウルバンが制作した青銅砲を準備していたそうです。

この砲は数百キロの石を数百メートル飛ばすことが出来たはずです。

Wikipediaより。ウルバン砲かは解りません・・・

 

オスマン帝国は、首都の防衛を壁に頼る必要がなかったこと。

火砲が発展するにつれ、テオドシウスの城壁のような「高い」城壁は時代遅れになったこと。

本格的な修復は、オスマン帝国時代にはなされず今にいたります。

Updated: 2020年1月29日 — 12:00 AM