アブシンベル神殿
当時ヌビアと言われた現在のエジプト南部とスーダンにまたがる地域。
この地を支配した偉大なるファラオ新王国第19王朝のラムセス2世が、その威信を知らしめるため建設した大神殿です。
交通の便は良好とは言えず飛行機でダイレクトか、アスワンからのバスで入るしかありませんでした。
アスワンに到着した後、宿泊したクレオパトラホテル前で客引きをしていた怪しげな自称「キャプテン」に声をかけられ、彼が勧めてきた格安のプランでアブシンベルに行く事になりました。
当時はハトシェプスト葬祭殿での銃乱射事件の記憶も生々しく、外国人が車で街から街へ移動する際には時間を決めて車両を集合させ、エジプト軍のジープが前後を護衛する方式が取られていました。
アスワン=ハイダム建設で
1956年、エジプト大統領ナセルが「スエズ運河国有化宣言」をおこないました。
ナスエズ運河株を所有する英仏は国有化宣言に反対、英仏がイスラエルとともにエジプトに対し攻め込んだのが第二次中東戦争です。
結局、米ソを中心とした諸国からの批判を受け英仏・イスラエルは撤退、スエズ運河国有化は遂行されました。
その後ナセルがスエズ運河収益とソ連の援助によって建設したのがアスワン=ハイダムです。
このダムがナイルをせき止め、巨大な「ナセル湖」が形成されました。
この湖底に沈むはずだったアブシンベル神殿。
ユネスコが基金を募り、なんと崖に彫り込まれた神殿を人力で切り分けて崖上に移築しました。
世界遺産は、このアブシンベル神殿移築をきっかけに創設された制度です。