アブシンベル〔Abu Simbel〕

アブシンベル神殿

当時ヌビアと言われた現在のエジプト南部とスーダンにまたがる地域。

この地を支配した偉大なるファラオ新王国第19王朝のラムセス2世が、その威信を知らしめるため建設した大神殿です。

交通の便は良好とは言えず飛行機でダイレクトか、アスワンからのバスで入るしかありませんでした。

アスワンに到着した後、宿泊したクレオパトラホテル前で客引きをしていた怪しげな自称「キャプテン」に声をかけられ、彼が勧めてきた格安のプランでアブシンベルに行く事になりました。

当時はハトシェプスト葬祭殿での銃乱射事件の記憶も生々しく、外国人が車で街から街へ移動する際には時間を決めて車両を集合させ、エジプト軍のジープが前後を護衛する方式が取られていました。

太陽を背に

眠い目を擦りながら朝五時に起床。「キャプテン」が用意したライトバンに乗り込みました。

写真は車中から撮影した、地平から昇る朝日。

太陽に神ラーを見た古代エジプト人の心境が理解できたような、なにか荘厳な気持ちになりました。

乗り合わせた欧米からの観光客も同じ気持ちだったようで、しきりに写真を撮っていました。

アスワン=ハイダム建設で

1956年、エジプト大統領ナセルが「スエズ運河国有化宣言」をおこないました。

ナスエズ運河株を所有する英仏は国有化宣言に反対、英仏がイスラエルとともにエジプトに対し攻め込んだのが第二次中東戦争です。

結局、米ソを中心とした諸国からの批判を受け英仏・イスラエルは撤退、スエズ運河国有化は遂行されました。

その後ナセルがスエズ運河収益とソ連の援助によって建設したのがアスワン=ハイダムです。

このダムがナイルをせき止め、巨大な「ナセル湖」が形成されました。

この湖底に沈むはずだったアブシンベル神殿。

ユネスコが基金を募り、なんと崖に彫り込まれた神殿を人力で切り分けて崖上に移築しました。

世界遺産は、このアブシンベル神殿移築をきっかけに創設された制度です。

アブシンベル神殿到着

ライトバンに揺られること3時間余りだったと記憶していますが、アブシンベル神殿に到着です。

神殿の裏手は、コンクリートのドームで覆われており崖に彫り込まれた遺跡を移築したことが明白に見て取れました。

写真はアブシンベル大神殿、前面に4体並んで座るラムセス2世像が目を惹きます。

こちらは小神殿、ラムセス2世が最も愛したとされる妃ネフェルタリのために建設されたものです。

小神殿正面にはラムセス2世像とネフェルタリ像が交互に並びます。

大神殿正面

正面のラムセス2世像、人間の大きさと比較すると巨大さが解ります。

巨大なラムセス像の足下には、王妃ネフェルタリと王子カエムワセト像。

大神殿オシリス列柱

神殿に入ると列柱のある部屋です。

この列柱彫られているのは、冥界の神オシリスの姿をしたラムセス2世。

ここまでくると多少自己顕示が過ぎる気もしますが、建設の目的を考えるとやり過ぎて困ることはないのでしょう…

至聖所

神殿最奥の至聖所。

左からミイラの姿をしたプタハ神アメン=ラー神・ラムセス2世・オシリスイシスの息子、隼の神ホルスとラーが習合したラー=ホルアクティ神が並びます。

古代には年に二度、一説にはラムセス2世がファラオに即位した日とあともう一日に、夜明けの太陽の光が神殿内部に差し込みラムセス2世とアメン=ラー神像、ラー=ホルアクティ神を照らしたそうです。

この写真のように。もちろんこれは電灯で、太陽の光ではありません。

現在は移築のせいで位置がずれ、光は差し込まないそうです。

プタハ神はミイラの姿からも理解できますが、光はあたりません。

大神殿周辺と神殿内部

大神殿基壇側面。

戦争捕虜のレリーフ上部には、有名なラムセス2世の上下エジプト王名と誕生名です。

カルトゥーシュに囲まれた左はネスウビト〔上下エジプト王名〕「ウセル・マアト・ラー・セテプ・エン・ラー」

右のはサーラー〔誕生名〕「ラメスス・メリアメン」

これはカデシュの戦いの内容を記したレリーフであったと思いますが、うろ覚えです。

神殿内部。

ルクソール〔歴史ではテーベと習います〕のラムセウムやカルナック神殿にも見られる、カデシュの戦いに関するレリーフです。

ラムセス2世の超人的奮戦と、戦闘での勝利を誇示したものです。

Updated: 2020年3月23日 — 1:29 AM