まあ・・・
お題を頂けたので、何となく更新してみようかなと思ったり。サボってますからね、契約料払ってるのに・・・
お題は「関東州は東三省に含まれるか」です。最近世界史Bでは東三省を言わなくなりましたね、現代中国では使われてないからでしょう。
関東州も余り教えません。近年ノモンハン事件のニュースが流れましたので「関東軍って関東州を守る軍隊ね、満州事変を起こした軍隊だよ」くらいしか触れていません。
東三省とは
さて東三省とは現在の遼寧省・吉林省・黒竜江省に相当する地域です。ただ清初、この地域への漢人移住は許されておらず省制は採られていませんでした。恐らくは元にとってのモンゴルのように、中国経営に失敗した場合に退去する場所として温存されていたものと思われます。この三省に当たる地域には康熙帝時代より将軍が置かれ従来の行政職を兼ね、八旗軍及び行政を管轄していたようです。
光緒三十三年(1907年)にこの将軍を廃し新たに省制が導入され、奉天・吉林・黒竜江を統括する東三省総督と奉天巡撫が置かれました。同様に吉林・黒竜江でも将軍が巡撫に代わりました。難関私大で出題される、複数省を統括するのが総督・一省統括が巡撫のいわゆる督撫です。初代東三省総督は徐世昌、袁世凱に非常に近い官僚です。行政区名としての東三省はここが初出だと思われます。
この奉天省が後に名を遼寧省に変えたわけです。奉天府〔瀋陽のこと〕は清朝にとってはめでたい名前ですから、中華民国か中華人民共和国が変更したものでしょう。
満洲国時代は奉天でした。溥儀が執政・皇帝でしたのでこの名前で問題なかったわけですね。なので49年以降でしょうか、ここは調べ忘れました・・・
関東州とは
さて関東軍が駐留した関東州は、日露戦争講和条約ポーツマス条約で日本がロシアから租借権を譲り受けた旅順・大連を中心とした遼東半島南部に当たります。関東州の名前は無論、天下第一関山海関の東。万里の長城、東側の関の一つめ、その東とまあ何とも大雑把な命名です。
さて
本題の「関東州は東三省に含まれるか」ですが『清史稿』などによると奉天省の界は「南は旅順口、西は山海関」ですので、関東州は東三省に含まれます。詳細に言えば奉天省内ですね。
東三省はほぼ満洲国と重なり、愛琿〔アイグン〕条約でロシアに割譲したアムール川左岸地域と北京条約で割譲した沿海州を足せば女真人の故地満洲です。
どこかの私大入試で出題されたようです。恐らく日本史で・・・