ニュース「反社会的勢力、定義するのは困難」答弁書閣議決定 -教材の一つとして

メディアで

「反社会的勢力、定義するのは困難」答弁書閣議決定

これは、毎日新聞ネット版の2019年12月10日記事のタイトルです。

 

これに類似した報道がなされ、SNS・テレビ放送では野党議員や左派知識人が一斉に「反社を否定するのか」「あったことをなかったことにする症候群」「定義の方を合わせたとしか思えません」など、「桜を見る会」に絡めた論調で政府批判を始めました。

 

確かに最近の政府の弛みについては、有力な対抗馬が不在で緊張感のない状態であるとはいえ、少々目に余るものがあります。

しかし弛んでいるとはいえ、上記批判のような「一目瞭然」な逃げ方・かわし方をするでしょうか。

 

仔細を検討してみましょう。

世界史には直接関係ありませんが、良い教材になる気がしますので。

全文を読まねば

報道全般に、紙面などの都合で「事実関係の一部切り取り」が行われます。

これは致し方ないことなのですが、発信者の意図が作為にせよ無作為にせよ混入してしまうところなので、受信者側の我々がもっとも注意しなければならない個所です。

 

その意図を避けるため、衆議院のホームページから「第200回国会」の質問主意書・答弁書を確認する事にしましょう。

 

この辺り専門外ですので、少々調べましたが内閣に対する質問主意書に対しては必ず閣議決定がなされるそうです。

今回の答弁書が特例というわけではありません。

まずは質問主意書です。

 

番号112「反社会的勢力の定義に関する質問主意書」 立憲民主党初鹿代議士の質問です。

 

質問中に登場する定義「暴力・威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人」とは、質問書内にも記載されていますが「企業が受ける、反社会的勢力による被害を防止するため」にとりまとめられた指針に基づくものです。

  • 「反社」を上記定義の意味以外で政府が用いたことがあるか。
  • もし「反社」を上記定義の意味以外で用いていたならば、実例を全て明らかにし具体例を挙げ説明せよ。
  • 「反社」に上記定義と異なる意味があるなら、政府として新たな定義づけが必要ではないか。
  • 「反社」を新たに定義づけするなら、どのような定義になるのか。

 

これがほぼ要旨です。

私の要約なので、実物を読んで判断していただきたいです。

無論、ここにも私の意図がはいりますからね^^;

さて答弁書です

 

これが答弁書ですね。

質問一から四までに対する答弁をまとめて述べた後、「暴力・威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人」に関連する取り組みは政府として承知している、と述べています。

質問の答弁に該当する部分をそのまま引用しましょう。

 政府としては、「反社会的勢力」については、その形態が多様であり、また、その時々の社会情勢に応じて変化し得るものであることから、あらかじめ限定的、かつ、統一的に定義することは困難であると考えている。また、政府が過去に行った国会答弁、政府が過去に作成した各種説明資料等における「反社会的勢力」との用語の使用の全ての実例やそれらのそれぞれの意味について網羅的に確認することは困難である。

どうでしょうか

常識範疇内の答弁書で、大騒ぎする内容には思えません

  • 政府が用いた「定義」以外の用例・内容を全て答えよ → 全て答えるのは困難
  • 反社会的勢力の定義を新たに策定せよ → 限定的・統一的な定義は不可能

 

企業が受ける、反社会的勢力による被害を防止するため」の定義のみを持ち出し、それ以外の用例を全て説明せよなど無茶振りもいいところです。

反社会的勢力とは会費を取ったり、企業活動を行ってその利潤で、暴力革命に備え武装準備している集団があるならばそれも該当するでしょうし、宗教で寄付金を集めテロを行おうとする集団も反社会的勢力ではないでしょうか。まさに限定的・統一的な定義は不可能です。

 

この答弁書で大騒ぎしている理由は、意図的に質問主意書の内容をとばして「桜を見る会問題」に関しての官房長官の発言と絡めているからです。

 

桜を見る会、ワキが甘いなとも思いますがこれに限定して政府批判を繰り返すと野党側にも同じような批判材料が、それこそ山のようにでてくるでしょう。

なぜなら与野党議員共々「同じ穴の狢」だからです、言い方は悪いですが。

反社にとっては安倍さんも枝野さんも「利用できる権威」で、ただ「大きいか小さいか」の差に過ぎません。

 

今回あまりにも酷いなと思い、この話題を取り上げてみました。

批判するにしても擁護するにしても、正しく実情を知ろうとすることが必要です。その上で、自ら考え判断することも。

 

正しい実情にたどり着くことも、正解?を導き出すことも困難極まりますし、たどり着けない可能性が高いです。ですがその気持ち・努力を忘れ、流され行動するのでは歴史に学んだ意味がありません。

 

流されるだけではいけないと、歴史は教えているはずですからね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください