壬午・甲申・甲午って干支

十干〔じゅっかん 「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」〕と十二支〔「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」〕を組み合わせて、日や年をあらわす方法があります。それを、干支〔かんし えと〕と呼びます

殷代には使われはじめていたようで、武丁・大乙・帝辛など王の名前に十干が出てきます。帝辛は、授業で聞いた殷の紂王です。

高校の歴史では、年に使われる場合が多いので少し説明を。干支甲子〔かっし〕の次の年は、乙丑〔いっちゅう〕。その次は丙寅〔へいいん〕のように十干と十二支を組み合わせて年をあらわしていきます。十二支が戌までいくと、十干は甲に戻り甲戌〔こうじゅつ〕、次は乙亥〔いつがい〕と干支の組み合わせがずれていきます。10と12の総当たりではありません。なので10×12=120ではなく、10と12の最小公倍数60年で干支は元に戻ります。なので「還暦」は60年です。

因みに甲子園は1924年、甲子の年に出来たので甲子園なんだそうです。

あと、世界史では朝鮮半島の歴史で干支が登場します。壬午軍乱・甲申事変・甲午農民戦争です。1894年の、日清戦争の発端となった甲午農民戦争から12年前が壬午軍乱、10年前が甲申事変なのは、よく考えれば解りますね。

Updated: 2021年1月19日 — 7:29 PM

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